モラハラから逃げるのは甘えじゃない

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フェンス越しの子ども

モラハラから逃げるのは甘えなのか、それとも英断なのか。私自身の体験と、関連本やサイトなどいろいろな方の意見も踏まえて記事を書いています。

はじめに書いておきますが、私は逃げることは「英断」だと考えています。

モラハラという言葉に行き当たるまでの葛藤

多くの方がモラハラという言葉を知る前にモラハラ被害に遭われていると思います。私もそうでした。

それまでの間、自分が相手から受けているものは「私のためを思って叱ってくれているんだ」とか、「私自身に非があって怒られているんだ」なんて思って(思い込ませて)いました。

そんな毎日の繰り返しの中で、あの人は私のことを思って怒っている訳ではないのでは?とか、こんな仕打ちをされるほどのことをしていないのになぜ?なんていう風に相手に対して疑問に感じることが多くなってきました。それぐらいのタイミングからネットで自分と同じような人がいないか検索したりしていました。最終的に「モラハラ」の言葉をみたとき、これだと思いました。また、知らないだけで大勢仲間が出来たような感覚でほっとしたのを今でも覚えています。

モラハラを知ってしまったが故の不安

なぜ不安かというと、加害者と関係を続けている間は今の状況が一生続くのではないかと不安に思ったからです。「いつか無くなるよ」とか「ここを乗り越えれば終わる」という、今まですがって来た言葉の効力が消えるからです。私の場合は、それから後に体調を崩し、うつ病の診断を言い渡されることになりました。

自分では鋼の心だと思ってましたが、案外壊れるときはあっけないものです。今までの我慢も水の泡でした。

冷却期間。モラハラ被害を冷静に受け止めて気づいたこと

うつ病になったお蔭で会社を休めることになりました。あっ私のモラハラ加害者は職場の上司だったので、会社に行かないことで物理的な距離を置くことが出来たという意味です。

休みの期間に改めて自分が受けたものはモラハラだったのか、そうではなかったのかを考えました。何時ぞやの記事にも書きましたが、モラハラに原因は関係ないのです。たとえ原因が自分にあり、相手を怒らせたとしても相手の言動が行き過ぎたが故に身体も精神も傷ついたという結果が現在の自分の状況だとそう思いました。

ならば、どうするか。「甘えなのかな?」とか、「変われなかった自分が悪いんだ」とかいう被害者と加害者を中心としたベクトルから、自身とその未来について考えてみたほうがよっぽどいいなと思いました。

大切なことは、モラハラ被害から立ち直ること

自分の人生と向き合う。これまで夢や将来について、あいまいにして来てしまったなと痛感しました。

現在は、この作業の道半ばです。人生後悔しないようにやり遂げたいことを見つけて、自身の責任で歩んでいけるようになれたらとそう思っています。

少し話がそれますが、モラハラ被害者の特徴でよく出てくるものに「メランコリー親和型」があります。よく言うと、他者と強調し合って生きて行けるタイプの人、悪くいうと他者に依存して生きていくタイプの人のことなんですが、私もどちらかというと当てはまります。無意識のうちに私も甘えるからあなたも甘えていいよ。という雰囲気を出しながら生きて来たのだと思います。二度と被害に遭いたくないので、今度こそ自分のために変わっていきたいと思っています。

最後に。やっぱりモラハラから逃げて正解

少し長くなってしまいましたが、結論としてはモラハラからは逃げることが正解です。逃げられる環境の人は、周囲の目など気にせず、全力で逃げてください。もし、逃げることがたやすくない環境の人は、依存度を下げる方法を考えてみてはどうでしょうか。

モラハラから逃げることは甘えではなく、むしろ厳しい道のりなのかも知れません。でも、それも考え方次第です。自分らしく生きられることが、本当の幸せなのかも知れませんね。私も頑張ってみます。

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